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2015年前後、私は専ら国内で戦略コンサルティングに携わり、海外経験はほとんどありませんでした。それにもかかわらず、いきなりカンボジアに飛び込み、事業を始める決断をしました。見知らぬ土地を遠くからリサーチしていても、経営のリアルは決して体得できない──そう感じていたからです。つてもないまま日本のカンボジア大使館を訪ね、現地の人を紹介していただき、まずは自分たちがすぐに動かせる、シンプルでわかりやすい事業から着手しました。机上で計画を練り続けるより、具体的に現場で試し、泥臭く学び、気づきをもとにその場で修正することこそが、最速の学びだと考えたのです。
当時、現地では日本食が流行の兆しを見せていました。オペレーションが比較的シンプルで、走りながら市場を観察できると考え、直感的に選んだのが「うどん」でした。仕入れ先の確保、店舗物件探し、厨房設計、採用──すべてがゼロからのスタートです。月に一度は2週間、最長で1か月現地に張りつき、試行錯誤を繰り返しました。マネージャー層には英語がある程度通じましたが、スタッフの多くはクメール語。完全なアウェイ環境では、言語・慣習・商習慣の違いを超えて、身体で覚えるしかありませんでした。
最初の誤算は「専門店は流行しにくい」という現実でした。カンボジアでは、一品特化型の店よりも複数のメニューを楽しめる店が好まれる傾向が強く、さらにSNSで映える“見栄え”も重視されていました。私たちはすぐにメニューの幅を広げ、内装を豪華に見直し、接客も現地流に合わせて修正しました。香川のうどん学校で2週間学び、日本の店舗で実地経験を積んだ役員が先導して運営の質を底上げし、現場を立て直しました。
うどんを軸としながらも修正に修正を重ねた結果、半年ほどで黒字化、約1年で十分な利益を確保し、1年半ほどという短期間でエグジットに成功しました。小さく始め、現場で学び、スピード感をもって改善する──このサイクルこそが、私たちがカンボジアで身につけた経営の型だったのです。
国内で人月単価の高い戦略コンサルをしているだけでは、1円の意味をここまで実感することはできませんでした。BtoBでは数百万、数千万単位の議論が中心ですが、BtoCでは100円を110円に上げることの難しさ、皿を100円から98円で仕入れるための粘り強い交渉、在庫を切らさずに回すための細やかな工夫がすべて経営の死活に直結します。数字の端数にこそ、経営の本質が宿る──その現実を肌で味わいました。うどん屋での経験は、私の“経営の勘”を鋭くすると同時に、戦略の抽象論だけでは見えてこない「現場の重み」を刻み込んでくれたのです。
飲食の厳しさを一通り経験した私たちは、次第に“国の血流”である物流に目を向けるようになりました。うどん屋を一つ経営するにも、仕入れが予定どおり届かない。この国の成長には物流の改革が不可欠だと考え、挑戦を決めました。しかし、そこには構造と商慣習の大きな壁がありました。当時の配送は、ヤマトや佐川のように戸別に届けるのではなく、集積場に荷を置き、受け取り側が取りに行くスタイルが主流でした。そのためピックアップ率は6〜7割にとどまり、常に一定割合の荷物が行方不明になる。加えて地図は不正確で、ビルが倒壊して住所ごと消えることもある。治安の悪さから、ドライバーが荷を持ったまま姿を消すケースも少なくありませんでした。
本来であれば、地図情報や配送拠点に思い切った先行投資を行い、仕組みそのものを変えるべきでした。しかし当時の私には、現地で資金を調達して大きく勝負する発想がなく、自己資金の範囲で取り組んでいました。結果として、物流事業は損切りの判断を下し撤退しました。うどんでは売却益を得られましたが、物流は撤退という結論です。ただし、この反省は次の戦略に確実につながり、後の「資金調達を前提に構造を変える発想」へとつながっていきます。
「届いた」と言われた重機を見に行くと実物がない。「喜ばせたかったから」と真顔で言われる。オーダーした机は人が手を置いただけで崩れてしまう。通関では、手続き上問題がないはずの品が止められ、不適切な要請(いわゆる賄賂)に直面することもありました。日本の感覚では理解しがたい場面に、日々直面しました。しかし、異文化に対してただ腹を立てても、何も進みません。
私は意識的にこう返すようにしていました。「ありがとうございます。そのうえで──」。相手を否定せず、場の空気を壊さずに、次に進むための条件を淡々と詰めていく。文化や制度は所与のものです。だからこそ、変えられるのは自分の反応と、その場での打ち手だと考えていました。
海外では、想定外の出来事が同時多発します。必要なのは、正解を知っている人ではなく、フレキシブルに動ける人と、コミュニケーションを通じて関係を築き、辛抱強く信頼を積み重ねられる人です。内向的で現地の人々と交わらないままでは、何も分かりません。口先だけで賢そうなことを言っても、人も市場も動かすことはできないのです。
この経験から、私たちは事業を立ち上げる際の採用基準を見直しました。日本の地方に行くような感覚で、その先にある海外に飛び込む。地方と海外は、地続きの延長線にあると考えています。スーツケースひとつで現地に入り、泥臭く現場で学ぶことを厭わない──そんな人材こそが、本当の戦力になるのです。
こうした経験は、当社の事業モデルの大きな転換を後押ししました。5年ほど前から、私たちは“すべてを自前でやる”という発想を手放し、現地の優秀な企業や起業家と組む方向へ舵を切りました。クロスボーダーM&Aや合弁を通じて、最初からその土地に根づいているパートナーと連携することにしたのです。日本企業同士で閉じる必要はなく、むしろ現地の知見を取り込むことで競争力が高まります。フィリピンからカンボジア、スリランカ、そしてさらに西へ──コロナがなければルワンダにまで進出していたでしょう。いまもその志は変わらず、「西へ西へ」と広げていく構想を持ち続けています。
カンボジアでの挑戦を通じて痛感したのは、世界には依然として多くの“時間差”が残されているということです。日本で当たり前になった仕組みやサービスも、新興国ではまだ存在せず、大きな可能性を秘めています。実際、米国でKickstarterが広がり、その後日本でCampfireが台頭したように、潮流は形を変えながら市場を越境していきます。こうした“タイムマシン経営”の発想は今も十分に有効であり、日本から途上国へ“時間差移植”する試みには大きな余地があります。重要なのは、単に持ち込むのではなく、現地文化に合わせて再設計することです。それができれば、数多くのビジネスにおいて勝機を掴むことができるはずです。
カンボジアで学んだのは、結局「調査よりもまず現場に入る」ということでした。日本でも経験したことのなかった泥臭い挑戦を、私はカンボジアで体験しました。東京から指示を出すだけでは、国内の地方でさえ歓迎されません。まして海外なら、なおさらです。現地に飛び込み、文化に溶け込み、認知の壁を一つひとつ乗り越える。その往復運動の先に、再現性のある成長が生まれるのです。
海外は特別な場所ではなく、地方の延長線上にあるもう一歩先にすぎません。日本の地域企業も、地域だけにとどまっていては未来を切り拓けません。クロスボーダーM&Aを当たり前と捉える感覚を持たなければ、ハイスピードで進化する新興国企業に対抗することはできないでしょう。だからこそ私たちは、これからも「西へ西へ」と歩を進めていきます。